佐々木朗希の母親の職業は何?家族構成や兄弟も画像付きで紹介!

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今回は、「佐々木朗希の母親の職業は何?家族構成や兄弟も画像付きで紹介」と題してお届け致します。

佐々木郎希選手は、2019年のドラフト会議での注目度を浴びて、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団しています。

入団交渉の時に佐々木郎希選手の隣の母親が美人だと話題になりました。

綺麗で画像を見返した人もいたのでは。

また、どんなお仕事をされているのか気になった人も多かったのではないでしょうか。

2020年は、一軍のでの登板をなく、大事に育てられた佐々木郎希選手ですが、2021年5月16日が一軍戦デビューが予定されています。

待ちに待った佐々木郎希選手の試合ですが、家族も楽しみにしているのではないでしょうか。

佐々木郎希選手を育てた母親の職業が何なのか兄弟、家族構成について調べて見ましたので一緒にみていきましょう。

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佐々木朗希の母親の職業は何?

佐々木朗希選手の家族は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震が発生するまで7人家族でした。

あの大地震で多くの犠牲者が出たのは、知っている人も多いかと思いますが、あの時の自身あ忘れることが出来ません。

佐々木郎希の母親陽子さんは隣の大船渡市で仕事をしていて、津波の影響で道路が冠水により自宅のある陸前高田市に帰る事が出来なかったようです。

母親の陽子さんのお仕事は、外出が多いお仕事で営業的な事をされているのではないかと思います。

佐々木郎希の父親の職業は?

佐々木郎希の父親功太さんは、葬儀屋に勤めていました。

2011年の3月11日の東北地方太平洋沖地震で、犠牲になっていました。

佐々木郎希選手の出身地岩手県陸前高田市や大船渡市は、沿岸地域で被害多いところでした。

父親の功太さんは、葬儀屋ですのでお店にいたのか、外出していたのか分かっていませんが、津波が来ると想像していなかったのかも知れません。

佐々木郎希選手の父親、功太さんが37歳時に大地震が起きてしまいました。

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佐々木朗希の家族構成は?

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の被害は、父親の功太さんだけでは有りませんでした。

地震発生の翌日、母親陽子さんと子供3兄弟は避難場所で再会しましたが父親の功太さんと祖母は津波の犠牲になったといいます。

祖父は現在も行方不明になっていると言われています。

自宅は流されすぐに仮設住宅に入れず、大変苦労したと言っていました。

7人家族から4人家族になり想像がつかないほど大変辛かったと思います。

岩手県の沿岸の地域(陸前高田市、大船渡市、釜石市、宮古市)はとても野球の盛んなとこです。

母親の陽子さんの子供3人共野球をしていました。

津波で犠牲になった3人の悲しみは壮絶だと思いますが、子供たちの野球をしている姿を見ることで、寂しさをまぎらわしていたのではないでしょうか。

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佐々木朗希の兄弟の画像は?

引用元:https://torasan1.com/post-5912/

こちらが、佐々木郎希選手の兄弟の画像です。

左側から兄、郎希さん、弟、母親です。

佐々木郎希選手の兄弟は、上も下も男です。

3人とも野球をしているようで、佐々木郎希選手の兄も高校まで野球をしていたそうです。

佐々木朗希選手には兄弟の名前は?

佐々木朗希選手には兄琉希さん、弟怜希さんと言います。

2011年あの東日本大震災で自宅を流され、陸前高田市から隣の大船渡市に引っ越しをしています。

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兄も佐々木郎希選手と同じ野球をしていた

兄の琉希さんは弟郎希さんと同じ岩手県県立大船渡高校に入学をして野球をしていたようです。

大船渡市の高校で野球が強い学校は大船渡高校が有名です。

地域ぐるみで、野球をしている盛んなところです。

大船渡高校の部員は、50人位はいると思いますね。

そんな中でも、兄の琉希さんは4番打者を任される選手だったようです。

2016年夏の大会では琉希さんの大船渡高校は、残念ながら3回戦で宮古高校に2対7で負けています。

震災で嫌なこと苦しいことなど多くあったと思いますが、野球をしている時は忘れる事が出来たのではないでしょうか。

兄琉希さんは大学を卒業して社会人に

高校卒業後、琉希さんは東北学院大学に進学しましたが、現在は卒業して社会人になっているはずです。

2017年に「ビヨンドトゥモロージャパン未来スカラーシッププログラム2017」の審査に合格をして大学生活をおくっていました。

このプログラムは返済不要の奨学金支援で日本だけにとどまらず、アメリカ・フランス・ドイツ・フィリピン・韓国などでグローバル的な力を身につける研修のようです。

厳しい兄に変身

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で佐々木郎希の兄、琉希さんが父親代わりになり、弟2人に厳しくしつけをしたといいます。

父親の功太さんは、次男の郎希と三男の怜希には、とても優しかったそうです。

それに比べて、長男の琉希には厳しく接していたようです。

父親が、長男に厳しく接する事は、よくあります。

長男は、家を継ぐから厳しく育てると聞きます。

次男の郎希や三男の怜希が、どの様に思ったのが少しきになりますね。

それでも、父親と兄弟3人で野球を楽しんだと言っています。

兄の琉希さんも父親と同じ様に厳しく、時には優しく接していたと思います。

弟怜希さんは野球で活躍

弟の怜希さんは、2017年に楽天イーグルス杯で猪川野球クラブのショートで出場して、東北大会で優勝しています。

全国大会では、自らのバッテイングでさよなら打で勝利を導いたようです。

野球でのサヨナラ勝利は、特別な喜びがあります。

さすが佐々木郎希選手の弟という感じですね。

猪川小学校を卒業する子供たちの大半は大船渡第一中学校に進学します。

現在は、高校生になっています。

ところで、佐々木郎希選手はどうして地元で野球をしたのでしょうか。

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佐々木朗希選手は大船渡高校なぜ選んだ?

佐々木朗希選手は中学生の頃から野球で活躍していたようです。

中学では軟式ボールで141kmを投げるピッチャーとして注目を集め、多くの高校野球の強豪校から推薦入学の依頼が来たそうです。

その中でも甲子園で何度も優勝している大坂の桐蔭高校からも、誘いが有りました。

多くの強豪校からのオファーがあっても小・中学校から一緒に野球をしてきた仲間と高校でも野球をしたい理由から断ったそうです。

東日本大震災で同じ遭遇をした仲間や家族を残して、大船渡を出る事は出来ないと思ったのではないでしょうか。

幼馴染のキャッチャーと再開

佐々木朗希選手と大船渡高校のキャッチャーの及川恵介さんは同じ陸前高田市の出身のようです。

しかし佐々木朗希選手は東日本大震災で被災して、陸前高田市から大船渡市に引越した為、離ればなれになっていました。

中学三年生の時、岩手県沿岸地域のオール気仙(陸前高田市・大船渡市の選抜チーム)で、以前同じ小学校だった二人が再開しました。

その時に及川恵介さんは佐々木朗希選手から大船渡高校で一緒に野球をしようと誘われたそうです。

佐々木朗希選手の魅力は?

日本で一番早いボールを投げるピッチャーで、注目されている佐々木郎希選手ですが、2021年5月16日1軍デビュー戦があります。

メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手よりも潜在能力が高いと言われていますから、日本だけではなくメジャーから注目されるでしょう。

佐々木朗希選手の1番の武器はストレートではないでしょうか?

高校生最速163kmはあの大谷翔平選手より上回る球速で、130km後半のスライダーやフォークボールの緩急をうまく使えば、メジャーリーガーでもそうそう打たれないのでは?

と思ってしまいます。

まだ若くこれから筋力をつければ更に早いボールを投げる事も可能だと思います。

メジャーリーグでの最速がカージナルスのジョーダン・ヒックス選手で、104.2マイル(167.7km)ですから佐々木朗希選手が塗り替える可能性は大いにありますね。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

「佐々木朗希の母親の職業は何?家族構成や兄弟も画像付きで紹介」と題してご紹介してきました。

佐々木郎希選手の母親の職業は何かと言うと、外での仕事が多いようなので営業をしているの可能性があります。

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の被害で、父親の功太さん祖母が津波の犠牲になっています。

祖父はまだ見つかっていないようです。

7人から4人の家族構成になっている可能性があります。

そして、佐々木郎希選手の兄弟を画像で紹介しました。

佐々木郎希選手に似て、お二人もイケメンでした。

2021年5月16日の佐々木郎希選手の1軍登板が楽しみですね。

日本だけではなく、世界中で注目を浴びる試合に成ると思います。

今から、楽しみですね。

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